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最近読んだ本の中で衝撃的だった一文を書き残しておく。
いつか読み返して同じ感想を抱くのだろうか。


ちょっとくらいの失敗なんてたいしたことない。まさに私はそれを衿香に教えなかった。だって私がそう思っていないのだから。(略)(この後の描写が秀逸)ちょっとくらいの失敗なんてたいしたことないんだと、私はいつかこの子に教えてあげることができるんだろうか。私自身が学ぶことはできるんだろうか。
【角田光代「森に眠る魚」】



優れた作家は同じことを書く。しかし、決して同じようには書かない。読者は同じことが書かれているのをじつは知っているからこそ”あの作家のあの感じ”が味わいたくて新たな巻を手に取るのだが、その反面、同じように書かれているはずがないと作家に期待と信頼を寄せて最初のページを繰るのである。読者の要求は矛盾している。
登場人物の心情を我が事のように感じたり、手に汗握る展開に興奮したりして、「次はどうなるのだろう?」と期待するのは、虚構世界の創造に読者が荷担しているのだと言えないことはない。しかし、それはあくまで「次はどうなる?」と待ちの構えに入っているのであって、全権は常に作家に委ねられている状態に過ぎない。読者は世界の創造に関与しているかのような錯覚に心地よく身を委ねているだけなのだ。むろん、そういう小説が悪いわけではない。悪いどころか、作家の手練手管でただただ読者を酔わせるのが、健全な小説と言うものである。あわよくば手品の種を暴いてやろうなどと無粋で不健全な読み方をするのは、作家や評論家といった特殊な読者に留まるだろう。が、神林作品は、どう考えてもちょっとおかしい。世界を創ってゆくルールを読者に明かしてしまい、「次はどうする?」と、錯覚ではない本当の関与をいちいち読者に要請してくるのだ。

フレドリック・ブラウンの傑作短編「ミミズ天使」には、ドタバタした軽いのりの向こうに、この”物を書く”と言う行為の背筋も凍らんばかりの恐ろしい本質がさりげなく横たわっている。
【冬樹「長平を見るには長平の目がいる〈改〉」(戦闘妖精・雪風 解析マニュアル)】



前者に関してはとにかく文庫になったら買おう。そして手元において繰り返し読もう。というのは私が余計なことを言いそうなタイプだから…(苦笑)


後者。この評論で神林作品をより理解できたので、ちょっと興奮。そうだよ、そういうことだったんだ!と目からウロコ。確かに私は”あの感じ”をもう一度味わいたくて神林作品を読んでいるのだなぁ…あと、石田衣良作品もそれを味わえる安心感がある。新井素子もそう。ミミズ天使は図書館にあれば読んでみたい。
神林さんのメタ的なものの説明に大きく頷ける。ああ、恐ろしい作家だわ本当に(そして好みが別れると思われwww)




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